令和5年こどもの日、知人や樹の音会会員の中から参加者を募り研修旅行へ行ってきました!早朝3時30分樹の音会の久村会長が運転するバスに乗り、行先はなんと鹿児島!お昼過ぎには「鹿屋航空基地資料館」へ行くはずが運転手の思い付きでついたところはなんと「串良平和公園」そこは特別攻撃隊、一般攻撃隊合わせて565名の最後の地となった場所でした。このツアー3回目の私も初めて行く場所。そんなに昔ではない時代に鹿児島の至る所から若き精鋭たちが飛び立った事実。碑の前で手を合わせると感謝の言葉しか思い浮かびませんでした。
そして当初の目的の「鹿屋航空基地資料館」へ。敷地内にはたくさんの戦闘機の展示が。元自衛官でもある久村会長が整備していた飛行機の展示もありました。そして資料館の入口を抜けると正面には108枚のガラスで構成されたステンドグラスが。作者である平山郁夫さんの弟さんが特別攻撃隊(特攻隊)に居たご縁で展示されているそうです。当時の貴重な資料の展示は勿論、戦闘機のコックピットなど実際に触れる体験できるブースもあり今回参加していた小学生や幼稚園児も楽しみました。将来の自衛官が誕生するかも?
2日目は「知覧」へ移動
久村会長の知人でもある「特攻の母」鳥濱トメさんの玄孫の鳥濱拳大さんが営んでいる「知覧茶屋」で当時、特攻隊が最後に食べたであろう「卵丼」を特別に(通常メニューには無い)いただきました。当時の感覚で旨い=甘いだそうです。甘い卵丼は特攻隊にとって最高のご馳走だったに違いありません。拳大さんは語り部としても活動されており、当時の特攻隊の心情などを分かり易く伝えてくれる貴重な存在です。そして次に向かったのは知覧茶屋近くの特攻平和会館。こちらでは展示もですが特に「知覧特攻平和観音堂」へお参りしていただきたいです。終戦後間もなくトメさんが特攻隊のお墓として立てた一本の棒が始まりだそうです。そんなトメさんが実際に営んでいた「富屋食堂」は現在「ホタル館」としてトメさんと親交のあった特攻隊員達の遺品や遺書の展示場となって実際に見学することができます。展示の数々を見ていると特攻隊員たちも愛する家族や恋人がいた普通の男の子だったんだなと思うとこちらでも涙が止まりませんでした。是非足を運んでいただきたい場所の一つです。
3日目は「万世」へ移動
みなさん万世をご存知でしょうか?正直私は知りませんでした。ここからも多くの特攻隊が出撃していました。ここには「万世特攻平和祈念館」へ行きました。ガイドの方が丁寧に説明して下さり「広島県からお越しですよね、ここに呉市出身の特攻隊もいたんですよ」と教えていただきました。同郷の特攻隊。まさか鹿児島の万世で知るとは驚きました。時間があまり無かったので次回はもう少しじっくり展示を見たいなと思いました。
久村会長は博識でバスで他にも色々な場所へ連れて行ってくれました。樹の音会だからこそ行けた場所もたくさんあり、頭もお腹もいっぱいの旅となしました。
今回の研修旅行は大人13名子供6名の計19名で参加しました。先人が繋げてくれた命を次の世代へ引き継ぐ、そんな使命を改めて考えさせられた研修旅行でした。